ちょうど一週間前の11日に京都の義母が89歳で天国に召されました。
一カ月ほど前に肝臓から出血し、初めて癌に侵されていることがわかりました。
それからカテーテル治療などで持ち直したものの、先週の日曜日に意識が薄れ、
水曜日には帰らぬ人となりました。
医師の予想をはるかに超える進行の速さでした。
通夜・告別式を無事に終えて、
今は元気だった義母を思い出す日々です。
告別式の折に96歳の義父が喪主として会葬者に向かって挨拶をしました。
それまで気丈だった義父が、泣きながら絞り出すように義母の思い出を語っていました。
大切な連れ合いを失った悲しみは、とても深く、
その涙は、とても寂しく切なく感じられました。
私達も、義父の言葉をきいて、涙が出ました。
歩くのはゆっくりですが、96歳でありながら、
頭はしっかりとし、几帳面に生活をされています。
義父は強く、「これから一人で暮らす」と言っていますが、
子どもたち皆が思っているでしょう。
「おとうさんを一人にはしておかない」と。
私の京都通いは、これからもっと頻繁になりそうです。
一カ月ほど前に肝臓から出血し、初めて癌に侵されていることがわかりました。
それからカテーテル治療などで持ち直したものの、先週の日曜日に意識が薄れ、
水曜日には帰らぬ人となりました。
医師の予想をはるかに超える進行の速さでした。
通夜・告別式を無事に終えて、
今は元気だった義母を思い出す日々です。
告別式の折に96歳の義父が喪主として会葬者に向かって挨拶をしました。
それまで気丈だった義父が、泣きながら絞り出すように義母の思い出を語っていました。
大切な連れ合いを失った悲しみは、とても深く、
その涙は、とても寂しく切なく感じられました。
私達も、義父の言葉をきいて、涙が出ました。
歩くのはゆっくりですが、96歳でありながら、
頭はしっかりとし、几帳面に生活をされています。
義父は強く、「これから一人で暮らす」と言っていますが、
子どもたち皆が思っているでしょう。
「おとうさんを一人にはしておかない」と。
私の京都通いは、これからもっと頻繁になりそうです。