今日、萱原書房さんから、書道美術新聞の6月1日号が届いた。
一面には、「書道教員採用に明るさ」と大きな見出し
今年は21府県で、書道の公立教員採用試験が実施されるそうだ。
ここ何年も、書道の教員の採用枠は、非常に少なかった。
嬉しい傾向だが、採用があったとしても、少数の狭き門。
ちゃんと指導できる教員が学校にはいない。
高校での芸術は、音楽と美術のみで、書道を選択できる学校が少ない。
だから、若い人の書道人口が少なくなっている。
このままでは「書道は滅びる」
現時点では大げさかもしれないが、
現在の書道界は、高齢者ばかり、
還暦近い私が若手
次世代はどうなってしまうのか
昨年の日展問題で、書道はイメージダウン。
ネットでは、漫画のような書を当たり前のようにアップする人が増え
高校生は、音楽に乗って、大きな作品を書くパフォーマンスが流行。
決して悪いことではないけれど、
若いからこそ、書の基本をじっくり学ぶ姿勢がほしい
こつこつと臨書によって自らの資質伸ばしている人、
抜群のセンスと技術で感動を呼ぶ作品の書ける人、
書を愛し、独自の芸術論で周りを牽引する人、
書道界の将来を考えると、
そんな人材が欲しいのです。
半世紀前に現在ある主な書道団体は、
気骨のある書家により創設された。
今は、その団体が次世代に引き継がれている。
坂本龍馬のような気質で名高い、
土佐出身のイゴッソウ 南不乗先生により
創設された「現日会」もその一つ。
南 不乗書 「蔓」
南先生の言葉。
「作品は自己の分身であり、自己は独自の思想、精神を持った人間であるという自覚と認識がなくては、
いかに一生を費やして、小枝を弄したとしても、そこから芸術などが絶対に生まれる訳はない。
師を敬慕するということと、師の作品を模するということは、全く別のことでなくてはならぬと考える。」
今やるべきことは、
独自の思想・精神をもって、
書作に打ち込むこと。
その書作を、次世代に見てもらうことだろう
一面には、「書道教員採用に明るさ」と大きな見出し
今年は21府県で、書道の公立教員採用試験が実施されるそうだ。
ここ何年も、書道の教員の採用枠は、非常に少なかった。
嬉しい傾向だが、採用があったとしても、少数の狭き門。
ちゃんと指導できる教員が学校にはいない。
高校での芸術は、音楽と美術のみで、書道を選択できる学校が少ない。
だから、若い人の書道人口が少なくなっている。
このままでは「書道は滅びる」
現時点では大げさかもしれないが、
現在の書道界は、高齢者ばかり、
還暦近い私が若手
次世代はどうなってしまうのか
昨年の日展問題で、書道はイメージダウン。
ネットでは、漫画のような書を当たり前のようにアップする人が増え
高校生は、音楽に乗って、大きな作品を書くパフォーマンスが流行。
決して悪いことではないけれど、
若いからこそ、書の基本をじっくり学ぶ姿勢がほしい
こつこつと臨書によって自らの資質伸ばしている人、
抜群のセンスと技術で感動を呼ぶ作品の書ける人、
書を愛し、独自の芸術論で周りを牽引する人、
書道界の将来を考えると、
そんな人材が欲しいのです。
半世紀前に現在ある主な書道団体は、
気骨のある書家により創設された。
今は、その団体が次世代に引き継がれている。
坂本龍馬のような気質で名高い、
土佐出身のイゴッソウ 南不乗先生により
創設された「現日会」もその一つ。
南 不乗書 「蔓」
南先生の言葉。
「作品は自己の分身であり、自己は独自の思想、精神を持った人間であるという自覚と認識がなくては、
いかに一生を費やして、小枝を弄したとしても、そこから芸術などが絶対に生まれる訳はない。
師を敬慕するということと、師の作品を模するということは、全く別のことでなくてはならぬと考える。」
今やるべきことは、
独自の思想・精神をもって、
書作に打ち込むこと。
その書作を、次世代に見てもらうことだろう