年度末、そして春休み。
少しだけ時間の余裕ができるようになりました。
こんな時は、気が緩むのか、
いつも風邪をひきます。
案の定
今週は、鼻水が止まらず、やや熱っぽかったので、
静養に努めていました。
いつも私を気遣ってくださるAさんが、
お見舞いに「松井如流 書・学一如の生涯」という
分厚い本を貸してくださいました。
凄い本です。
松井如流先生のお考えや言葉がたくさん掲載されています。
表紙の「郁」という文字は本名「郁次郎」から落款に使用されている作品があります。
2010年に行われた松井如流先生の生誕110年の記念書展に作られた本のようです。
私は、その書展に伺えなかったので、先生の代表作しか知らなかったのですが、
魂のこもった作品の数々と
心の奥底に響く、先生の言葉は、
今の時代の私たちへ、
残された遺産です。
その本に載っていた、
先生のことばを皆様にご紹介します。
「書のように鍛錬をつんで出来あがる芸術にあって、先ず第一に師の指導によって書の根本精神なり書法の原理を十分会得すべきものである。そうしている内に次第に師法を脱して自己の理念を確立させて自己の風が出来上がるものなのである。
かように、師風に似ることが最初の道ではあるが、終局の道ではない。どこまでも、自分の工夫を加えて、常に新しい自己を発見、創造につとめてこそ芸術といわれるのである。
個我に徹してそこに新が流動してゆくのである。しかし、個性を発揮しようとつとめることの余り、自己満足、自己陶酔に陥っていい加減の所に安住したり、妥協したりすることは厳に戒むべきことである。」
「思えば、書の道は難しい。書には常に心と形とある。形を得ても心がこれに伴わぬことがあり、その反対に心があって形がそれについてゆけぬということもある。
また形を支える点や線の働きが、本当に生きているか、どうか、いつも悩みぬくのである。
かりに古い形を得たとしても、その表現が古代のそれではなく、現代に生き得るものでなくてはならない。
そのように現代に生きる表現とはなにか。たんなる装飾性に富む派手な表現だけに終始し、心がそこにないならば、書の価値はどうなるのであろうか。
いろいろの場にあって、いつも書の原点に立って考えようとするのだが、そうした苦悩と懐疑とを持ち続けながら、少しでも心と形と一致した境地へと近づきたいものと念願しつつ、歩み来たった私の道をかえりみるのである。」
生涯を「心形一致」の書の追求に捧げられ、脳血栓で右半身付随になられても、不自由な右手で書き続けられたとのことです。
その偉大な足跡を、現代に書を志す我々は模範としなければと思います。
少しだけ時間の余裕ができるようになりました。
こんな時は、気が緩むのか、
いつも風邪をひきます。
案の定
今週は、鼻水が止まらず、やや熱っぽかったので、
静養に努めていました。
いつも私を気遣ってくださるAさんが、
お見舞いに「松井如流 書・学一如の生涯」という
分厚い本を貸してくださいました。
凄い本です。
松井如流先生のお考えや言葉がたくさん掲載されています。
表紙の「郁」という文字は本名「郁次郎」から落款に使用されている作品があります。
2010年に行われた松井如流先生の生誕110年の記念書展に作られた本のようです。
私は、その書展に伺えなかったので、先生の代表作しか知らなかったのですが、
魂のこもった作品の数々と
心の奥底に響く、先生の言葉は、
今の時代の私たちへ、
残された遺産です。
その本に載っていた、
先生のことばを皆様にご紹介します。
「書のように鍛錬をつんで出来あがる芸術にあって、先ず第一に師の指導によって書の根本精神なり書法の原理を十分会得すべきものである。そうしている内に次第に師法を脱して自己の理念を確立させて自己の風が出来上がるものなのである。
かように、師風に似ることが最初の道ではあるが、終局の道ではない。どこまでも、自分の工夫を加えて、常に新しい自己を発見、創造につとめてこそ芸術といわれるのである。
個我に徹してそこに新が流動してゆくのである。しかし、個性を発揮しようとつとめることの余り、自己満足、自己陶酔に陥っていい加減の所に安住したり、妥協したりすることは厳に戒むべきことである。」
「思えば、書の道は難しい。書には常に心と形とある。形を得ても心がこれに伴わぬことがあり、その反対に心があって形がそれについてゆけぬということもある。
また形を支える点や線の働きが、本当に生きているか、どうか、いつも悩みぬくのである。
かりに古い形を得たとしても、その表現が古代のそれではなく、現代に生き得るものでなくてはならない。
そのように現代に生きる表現とはなにか。たんなる装飾性に富む派手な表現だけに終始し、心がそこにないならば、書の価値はどうなるのであろうか。
いろいろの場にあって、いつも書の原点に立って考えようとするのだが、そうした苦悩と懐疑とを持ち続けながら、少しでも心と形と一致した境地へと近づきたいものと念願しつつ、歩み来たった私の道をかえりみるのである。」
生涯を「心形一致」の書の追求に捧げられ、脳血栓で右半身付随になられても、不自由な右手で書き続けられたとのことです。
その偉大な足跡を、現代に書を志す我々は模範としなければと思います。